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名古屋地方裁判所 平成7年(モ)170号 決定 1995年9月22日

申立人(被告) 伊藤喜一郎

右訴訟代理人弁護士 土屋公献

浦野雄幸

高谷進

小林哲也

小林理英子

加戸茂樹

千田賢

相手方(原告) 鈴木あきら こと 鈴木斐

主文

相手方は、名古屋地方裁判所平成七年(ワ)第四五号損害金返還請求事件についての訴え提起の担保として、この決定が確定した日から一四日以内に、金八〇〇万円を供託せよ。

理由

第一申立ての趣旨

相手方は、申立人に対し、名古屋地方裁判所平成七年(ワ)第四五号損害金返還請求事件の訴え提起について相当の担保を提供せよ。

第二事案の概要

一  本件本案訴訟の概要

本件本案訴訟は、相手方が原告となり、申立人を被告として、申立人が株式会社東海銀行(以下「東海銀行」という。)の代表取締役として、同銀行の第九二期決算期(平成五年四月一日から平成六年三月三一日まで)中に、東海銀行の株式会社セントラルファイナンス(以下「セントラルファイナンス」という。)に対する四〇三億八六〇〇万円の貸出金債権を放棄し、貸倒引当金に繰り入れ償却することにより、東海銀行に同金額の損害を与えたと主張して、株主としての資格で東海銀行を代表して右損害金の返還を求めたものである。

本件本案訴訟における相手方の請求の趣旨及び請求原因は、別紙訴状≪省略≫記載のとおりであるが、その骨子は次のとおりである。

1  相手方は東海銀行の株主であり、申立人は昭和六三年六月から平成六年六月末日まで東海銀行の代表取締役頭取であった。

2  申立人は、右決算期中において、東海銀行のセントラルファイナンスに対する貸出金債権の内四〇三億八六〇〇万円を正当な理由なく故意に放棄し、貸倒引当金に繰り入れ償却して、東海銀行に同金額の損害を与えた。

3  東海銀行とセントラルファイナンスとの関係は、独占禁止法において金融機関が他社の株式を所有して親子関係同類の会社支配権が禁止されていることから、少数の株式の持合はあっても法的な親子会社関係はない。したがって申立人が代表権を乱用して、東海銀行のセントラルファイナンスに対する貸出金債権を「グループ取引先支援」と偽り故意に放棄し、同銀行に損害を与えたことは、商法二五四条の三(忠実義務)、同法四八六条(特別背任罪)及び同法二九四条の二(株主の利益供与禁止)等の法令に違反する。

4  申立人がセントラルファイナンスを積極的に支援した真相は、バブル経済のころ、セントラルファイナンスの経営に積極的に不当介入し、迂回融資を行わせ、その結果不良債権が急増してセントラルファイナンスの経営を悪化させたことにあり、申立人がその民事刑事の両面の責任から身を守るため、金融支援を行おうとしたものである。

二  申立人の主張

1  商法二六七条六項、一〇六条二項にいう「悪意」

株主代表訴訟における株主の右「悪意」は、①請求の成否及び②目的の不当性の二点について判断されるべきである。

(一) ①の点については、(ア)請求原因の重要な部分に主張自体失当の点があり、主張を大幅に補充あるいは変更しない限り請求が認容される可能性がない場合、(イ)請求原因事実の立証の見込みが低いと予測すべき顕著な事由がある場合、(ウ)抗弁が成立して請求が棄却される蓋然性が高い場合、等の事由により株主の訴えが十分な事実的、法律的根拠を有しないため、代表訴訟において取締役の責任が認められる可能性が低い場合で、かつ、株主がこのことを知りながら、又は通常人であれば容易にそのことを知り得たのに、あえて代表訴訟を提起した場合が「悪意」に当たるとされるべきものである。

(二) ②の点については、株主の代表訴訟の提起が、株主たる地位に名を借りて私怨を晴らすことを目的とするなど、株主としての正当な権利・利益を擁護し確保することを目的とするものではない場合には、当該訴えの提起が訴権の濫用として不適法となるかどうかという問題とは別に、株主の「悪意」が認められるべきである。

2  相手方の本件代表訴訟提起の目的の不当性(前記②の基準について)

相手方の本件本案訴訟提起の目的は、職業的特殊株主(いわゆる「総会屋」)の示威活動であり、あるいは申立人に対する私怨を晴らすためのものであって、株主としての正当な権利行使の目的に基づく本訴提起ではない。すなわち、

(一) 職業的特殊株主の示威活動の一環としての代表訴訟提起

(1) 職業的特殊株主(いわゆる「総会屋」)とは、「株主総会における発言・議決の権利行使に必要な株を保有し、株主総会で質問、議決を行うなど株主として活動する一方、株主権の行使に絡ませてコンサルタント料、新聞・雑誌代等の名目で企業から利益の供与を受け、または受ける恐れのある者」をいうと一般に定義されるが、相手方は、遅くとも昭和五七年まで、「鈴木あきら」あるいは「富吉共士」の名前で、「天報レポート」、「論闘ニュース」等の新聞・業界雑誌を発行し、各企業から購読料名目で金員を受領しており、昭和四九年五月には、総会屋としての恐喝容疑で逮捕されたこともあり、いわゆる総会屋として知られていた。

(2) 相手方は、昭和五六年に商法が改正された後、遅くとも昭和五九年以降、職業的特殊株主としての活動を再開展開し、東海銀行を含む数多くの上場企業の株主総会に出席しては、不当な議案修正案を提出し、不当な発言を繰り返し、議長に罵声をあびせるなど議長を誹謗、中傷する行動を続け、何れの総会においても、他の株主を無視して質問に名を借りた自己独自の意見を披瀝し、議長の指示に従わないなど、議場を混乱させる行動をして自己の職業的特殊株主としての示威活動を行った。また相手方は、平成五年の東海銀行の株主総会で、株主代表訴訟を提起することを明言し、その訴訟が自己の職業的特殊株主としての株主総会活動の一環であることを予告していた。

(3) そのうえで相手方は、平成五年に申立人を被告として前件の株主代表訴訟(当庁平成五年(ワ)第三一七五号事件。以下「前件株主代表訴訟」という。)を提起し、引き続き本件本案訴訟を提起したもので、右訴え提起は、相手方が東海銀行の株主であることに名を借りた職業的特殊株主であることの示威活動に過ぎず、正当な株主権の行使に基づくものでない。

(二) 申立人に対する私怨を晴らす目的

相手方は、平成三年、東海銀行と三和信用金庫とが合併するに際し、東海銀行に対し、自己の有する株式を、時価一株当たり一七八〇円相当であるにも拘らず、一株当たり二三九二円の高値での買い取りを請求し、それが拒絶されるや翌年から東海銀行の株主総会に出席し、不規則発言や動議の提出を繰り返すようになった。申立人は、当時東海銀行の頭取の地位にあり、相手方が出席した株主総会の議長を務め、相手方の不規則発言、議事妨害的行為に決して妥協をしないで、議事の進行、議場の整理等を行った。また相手方は、真に取締役の責任追及を目的とするのであれば、請求原因事実に関する決議に加わった取締役全員を被告とするのが通常であるところ、前件株主代表訴訟においても本件本案訴訟においても、訴訟の被告としたのは、申立人のみである。以上の事実から、相手方が申立人に対し、私怨を抱き、私怨を晴らす目的で本件本案訴訟を提起したことは明らかである。

(三) 以上のとおり、相手方の本件本案訴訟提起は、職業的特殊株主の示威活動の一環として、あるいは私怨を晴らす目的でなされたものにほかならず、正当な株主権の行使ではない。

3  本件本案訴訟の請求の成否(前記①の基準について)

相手方の本件本案訴訟における請求は、十分な事実的、法律的根拠を有せず、被告である申立人の損害賠償責任が認められる可能性は低く、かつ通常人であれば、容易にこのことを知り得たものと判断できるので、相手方の「悪意」によってなされたものであることが明らかである。すなわち、

(一) 請求原因となる主張の失当

(1) 本件本案訴訟における請求は、東海銀行がセントラルファイナンスに対して有していた四〇三億八六〇〇万円の債権を放棄したとの事実主張に基づき、申立人が東海銀行に対し同額の損害賠償をするように求めるものであるが、相手方において、右債権放棄が申立人の取締役としての忠実義務に違反すること、あるいは特別背任罪に該当すること、若しくは株主への利益供与の禁止に違反することの根拠として主張する事実は、株主総会招集通知に添付される資料に基づき、種々の修飾語を付加して抽象的言辞を羅列するのみで、何ら具体的事実の提示をせず、申立人の責任についても、具体的な主張がない。したがって、請求原因の主張を大幅に補充あるいは変更しない限り、右請求が認容される可能性はない。

(2) そして、相手方の右請求が認容される可能性がないことは、相手方の主張事実自体から導かれるものであるから、右可能性がないことについて相手方に認識があるというべきであり、少なくとも通常人であれば容易に知り得たものである。

(二) 東海銀行のセントラルファイナンスに対する支援の相当性

(1) 東海銀行がセントラルファイナンスに対し支援実施を始めた時期は、株価下落、地価暴落という、いわゆるバブル経済の崩壊に始まり、不動産業者のノンバンクに対する債務弁済の延滞、各ノンバンクの土地関連融資の同時多発的な不良債権化が発生し、それらノンバンクに融資していた銀行の信用不安という問題が現実化してきたときである。当時、各金融機関のノンバンクに対する権利関係は錯綜しており、一つの銀行が独走して取引を中止すれば、連鎖反応的に我が国の金融システム崩壊を招きかねない切迫した情勢にあった。そのような情勢の下、金融当局(大蔵省及び日本銀行)は、金融システム崩壊を回避するため、いわゆる「母体行責任主義」として、各銀行が融資残高に応じて支援するのではなく、母体として認識されている銀行が自行が危機に瀕しない限り支援をするという方式を採用し、その旨を行政指導した。ここで「母体行」とは、金融界における慣行ないしは社会通念に基づいてノンバンクとの一括査定を受ける銀行をその「母体行」と評価されるものである。東海銀行は、その沿革、名称、人事面、持株数等により、金融界のみならず金融当局からもセントラルファイナンスの母体行であると認識され、一括査定の対象ともされていることから、「母体行責任主義」を背景として、セントラルファイナンスに対する支援が求められるようになった。

(2) セントラルファイナンスは、当時、いわゆるバブル崩壊を受けて多額の不良債権を抱えており、自力で不良債権の償却を図れば、赤字決算・債務超過への転落は避けられない状況にあった。このことは取引金融機関にも察知され、既に外国金融機関は債権回収、約定弁済分の借換え拒否の動きが目立ってきており、赤字決算・債務超過への転落が公表されればその動きが全取引金融機関に波及し、資金繰りの破綻も必然という状況であり、全取引金融機関は、母体行としての東海銀行の支援方針を見守っていた。

(3) 東海銀行は、かかる状況の下で、セントラルファイナンスに対する信用不安を解消するために明確な支援方針を打ち出すことが必要であった。もし、東海銀行が母体行責任主義を放棄して、セントラルファイナンスに対する支援をしなかった場合、東海銀行自身にも多大の損害、すなわちセントラルファイナンスに対する出資、債権が回収不能となる損害、母体行としての東海銀行の信用失墜による資金調達コストの上昇等の多くの損害の発生が予測された。

(4) 以上のような背景と事情に基づいて、東海銀行はセントラルファイナンスに対する支援を決定し、その一環として相手方主張の債権放棄をしたのであって、その経営判断は正当な理由があるものであり、少なくとも取締役の経営判断の裁量の範囲を越えるものではない。

4  本件本案訴訟による損害及び提供すべき担保の額

(一) 申立人は、相手方から不当な本件本案訴訟を提起され、精神的に多大な負担を負い、かつ社会的信用と名誉を著しく失墜させられた。しかも、相手方の請求額は巨額なものであり、申立人は敗訴すなわち破産という事態を懸念して、今後金融機関等からの借入れも不可能となるものと考えられる。さらに申立人は、株主代表訴訟の被告とされたことにより、これまで適切かつ活発に行ってきた取締役としての職務に必要以上に慎重になり、職務遂行に萎縮効果が生じる可能性がある。

(二) 本件本案訴訟は、訴額が膨大であるのみならず、請求の趣旨及び原因が不明確である上、事案も極めて複雑であり、申立人本人自身で訴訟を遂行することは事実上不可能である。申立人は、その応訴のために、弁護士に訴訟の遂行を依頼せざるを得ず、弁護士との打合せ時間を費やし、さらに弁護士費用及び訴訟遂行のための調査費用、通信費用等の多額の出費を余儀なくされることは明らかである。

(三) 提供すべき担保の額

以上の点から、本件本案訴訟によって申立人が被る損害額は、相手方の請求額四〇三億八六〇〇万円の一パーセントである四億〇三八六万円を下らない。よって、相手方に対し、少なくとも右損害賠償額を担保すべき相当額の担保提供を命ぜられるのが相当である。

三  相手方の反論

1  申立人は、相手方の本件本案訴訟の提起に対し、商法二六七条六項、一〇六条二項にいう「悪意」があるから担保提供の命令を申立てるとのことであるが、右申立ては、相手方の正当な裁判権を実質的に奪うきわめて悪質な行為である。申立人の右悪意に満ちた行為は、折角商法改正で実現された株主代表訴訟制度の改善の趣旨に反するばかりでなく、民主的法治国家の中で重要な裁判制度の利用に対する悪質な権利乱用による妨害行為である。

2  申立人が東海銀行に損害を与えた事実(債権放棄の事実)は同銀行及びセントラルファイナンスの決算書類上はっきりと証明されている。申立人は、これについて、関係会社に対する「金融支援」であるというが、東海銀行とセントラルファイナンスとの関係は、少数の株式の持合いはあっても、独占禁止法上、親子会社関係同類の会社支配権が禁止されているから、法的な親子会社関係は一切ない。したがって、申立人が東海銀行の最高経営責任者である代表取締役としてセントラルファイナンスに対し東海銀行の貸出金債権を「グループ支援」と偽って故意に放棄したことは、商法二五四条の三(忠実義務)の定めに違反し、同法四八六条(特別背任罪)及び同法二九四条の二(株主への利益供与禁止)等の法令による禁止事項に該当するものである。申立人は、「相手方の主張は裁判上も認められる可能性が低い。」と反論するが、それは、申立人の裁判逃れの為の口実に過ぎない。

3  相手方は、不動産業及び証券投資業を正業とする者であり、総会屋ではない。

相手方は、現在、上場企業の株式を百数十社所有しているが、この目的はあくまで投資と趣味を兼ねたものである。相手方は、時折、株主総会に出席し積極的に発言・質問する等株主権の行使も行っているが、こうした権利行使の目的は「株主正義」による問題改善の一環であって、不正な利益を得る目的ではない。また、相手方の株主総会での質問・発言はすべて議案に関連する正当なものばかりであり、各議長に対して株主無視の職権乱用に対する抗議・批判等の行動はあっても、不当・違法な誹謗・中傷をしたことはない。

総会屋とは、諸会社の株式を若干所有し、各株主総会に出席し株主権を悪用して不正な経済的利益を得る者であり、違法行為者そのものである。しかし、株主が株主権を行使して不正な利益を得た事実がない限り、その株主を総会屋と指摘することはできないはずである。

4  相手方の本件本案訴訟は、債権債務関係に立つ東海銀行とセントラルファイナンスの両社が決算上認める損金の事実に対し、その返還を求める請求である。この目的は、経営改善のための不正の排除という言わば「株主正義」によるものであって、決して申立人に対する私怨によるものではない。

以上の理由から、相手方は申立人が求める担保の提供を拒否する。

第三当裁判所の判断

一  悪意の意義等について

商法二六七条五項、六項、一〇六条二項は、株主代表訴訟において、被告とされた取締役が原告となった株主の訴えの提起が「悪意ニ出デタルモノ」であることを疎明したときは、裁判所は請求により担保の提供を命ずることができるとしている。この担保提供の制度は、代表訴訟の濫用を抑制し不当な訴え提起により取締役が被る様々な損害負担から取締役を保護するという趣旨から設けられた規定であり、さらに代表訴訟の提起が不当訴訟として不法行為を構成する場合に取締役が取得する損害賠償請求権の履行を確保するための機能を有するものである。しかし、他面において、商法は株主が代表訴訟を通じて取締役の業務執行上の義務違反等を監督是正する機能を強く期待しているものであり、「悪意ニ出デタルモノ」に該るか否かの解釈にあたっては、この機能が十分発揮し得るように、これが阻害されることのないように配慮しなければならないことは当然である。そして、右の点を考慮に入れるならば、「悪意ニ出デタルモノ」として担保提供が命ぜられるべきであるのは、株主の代表訴訟の提起が取締役との関係で違法とされる蓋然性が高い場合に限るものと解される。そして、具体的には、株主の代表訴訟の提起が株主権の行使に名を借りて取締役や会社に対するうらみを晴らすことを目的とするなど、訴えの提起が正当な株主権の行使と相容れない目的に基づく場合のほか、請求原因の重要な部分に主張自体失当の点があり、主張を大幅に補充あるいは変更しない限り請求が認容される可能性がない場合、請求原因事実の立証の見込みが低いと予測すべき顕著な事由がある場合、あるいは被告の抗弁が成立して請求が棄却される蓋然性が高い場合等、株主の主張が十分な事実的、法律的根拠を有しないため、代表訴訟において取締役等の責任が認められる可能性が低く、原告がそのような事情があることを認識し、あるいは通常人であれば容易に認識し得たのにあえて訴えを提起したときに、当該訴えを「悪意ニ出デタルモノ」に該当するとして、担保提供を命じることができると解すべきである。

二  悪意の有無について

1  本件本案訴訟は、東海銀行の株主である相手方が同銀行の代表取締役頭取であった申立人に対して提起した株主代表訴訟であるところ、相手方の主張によれば、申立人は、東海銀行のセントラルファイナンスに対する四〇三億八六〇〇万円の貸出金債権を貸倒引当金に繰り入れ償却し、東海銀行に同額の損害を与えたもので、申立人の右行為は、悪質な背信・背任行為であり、商法二五四条の三(忠実義務)に違反し、同法四八六条(特別背任罪)及び同法二九四条の二(株主への利益供与禁止)に該当するというものである。

2  そこで検討するに、本件疎明資料によれば、次の事実が認められる。

(一) 東海銀行がセントラルファイナンスに対し支援策を開始した平成四年当時、いわゆるバブル経済の崩壊に伴って、株価の下落、地価の暴落等が相い次ぎ、多くの金融機関が膨大な不良債権を抱え、金融システムの不安がマスコミに報道される一方、金融当局(大蔵省及び日本銀行)も現実に危機感を持つようになっていた。特にノンバンク各社は、多数の不動産関連融資を行っていたことから、その信用不安が表面化していた時期であった。当時の金融情勢は、従来の金融不安と異なり、多数の金融機関に膨大な不良債権が発生するとともに金融機関の権利関係が錯綜しており、一つの金融機関が独走してノンバンク社との取引を中止して貸出金の引揚等の行為をすれば金融システム全体に連鎖反応的な影響を及ぼし、その崩壊を招く危険があると認識されていた。そのような中で、金融当局は、金融システム崩壊の回避策として、系列ノンバンクの不良債権を親銀行の不良債権として一括査定した上、系列ノンバンクは「母体行責任主義」で支えるという方法を指導していた。「母体行責任主義」とは、系列ノンバンクについては、母体銀行が危機に瀕しない限り全面的に支えるというものであり、母体行であるか否かは、歴史的経緯、社会や金融当局の認識等により判断された。そして、東海銀行とセントラルファイナンスとは、その沿革、資本関係、人事関係等から、金融界のみならず金融当局において、その系列関係にあるものとして認識されており、まさに東海銀行はセントラルファイナンスの母体行であると認識されていた。

(二) セントラルファイナンスは、当時、多額の不良債権を抱え、自力でその償却を図ろうとすれば、赤字決算、債務超過は必至の状況にあった。他方、一部の取引金融機関のなかには既にセントラルファイナンスに対する債権回収の動きを示す者も見られ、同社の赤字決算、債務超過が公表されるようになれば、その動きは全取引金融機関に波及し、同社の資金繰りの破綻は必然という状態であった。そのため、セントラルファイナンスとの取引金融機関は、母体行である東海銀行の同社に対する支援の方針を見守っている状況で、東海銀行は、その明確な支援方針を提示することが迫られていた。

(三) そのため東海銀行としては、系列下のセントラルファイナンスを支援をした場合としない場合とのいずれが損害が小さく、結果的に東海銀行の利益に繋がるかについて、銀行内はもとより外部の専門家の意見に照らして判断した。つまり、東海銀行が債権放棄を行った場合の損害は、四〇三億八六〇〇万円であるが、支援をしなかった場合は、セントラルファイナンスに対する出資金、貸出金等の債権が回収不能となるのはもちろん、母体行である東海銀行自身の信用が失墜し、自らの資金調達コストが上昇すること、東海銀行の他の関連会社が倒産に至る虞れがあること、東海銀行の預金残高の減少が必至であること等の損害の発生や経営上の多大な障害の発生が予測された他、日本の金融システムの崩壊の引き金にもなりかねず、その損害は計り知れないものと予測された。このような損失等の考慮を加えた上で、さらに支援に伴う経済的、法律的問題点を検討の上、セントラルファイナンスに対し東海銀行が支援することが東海銀行の利益になると判断し、その一環として本件債権放棄が行われた。なお、右債権放棄を含む東海銀行の第九二期損益計算書等の決算報告は、平成六年六月二九日に開催された第九二回定時株主総会で承認されている。

3(一)  相手方は、東海銀行とセントラルファイナンスとは独占禁止法上の制限から親子会社関係は一切ないのであり、東海銀行がこのような子会社でもない会社に対し支援を行うには、人員の派遣、貸出枠の拡大、増資の第三者割当等の方法による合法的な支援はともかく、債権放棄という違法な行為による支援は許されないこと、申立人が債権放棄という違法な方法で支援を行ったのは、東海銀行がセントラルファイナンスの経営に不当介入し、迂回融資をさせた結果不良債権が急増し、同社の信用不安を作り出したことから、申立人が自己の民事刑事の責任から身を守るためであった旨を主張する。相手方の右主張は、「民事刑事の責任から身を守るため」とはどういうことか、具体的にどのような点で背信・背任行為となり、どの点が忠実義務に違反し、特別背任罪に該当するのかといった具体的事実を明らかにしておらず、主張自体大幅に補充あるいは変更しなければ、その当否の判断すら難しいと言わざるを得ない。しかも、以下に述べるとおり、相手方の右主張が認められる蓋然性は低い。

(二)  たしかに、東海銀行は、独占禁止法一一条一項によりセントラルファイナンス株を五パーセントを超えて所有することができず、親子会社の関係にはない。しかし、そのような関係であるからといって、セントラルファイナンスの債権を放棄することが直ちに違法な行為であるとは言えない。のみならず、前示疎明資料からは、東海銀行はセントラルファイナンス株の四・八九パーセントを所有し、セントラルファイナンスの取締役の過半数は東海銀行関係者が占めている他、沿革、呼称等から社会においても経済界においても、その系列ノンバンクであるという認識が定着し、金融当局もそのように認識して一括査定の対象としていたものであり、そのような系列ノンバンクであるセントラルファイナンスが、現実に赤字決算・債務超過への転落の危機に直面し、東海銀行が支援策を講じなければ、資金繰りに窮して経営は破綻し東海銀行自身にも多大な損害を及ぼすという状況下にあり、さらにセントラルファイナンスの経営破綻がひいては日本の金融システムの崩壊の引き金になりかねないという状況にあり、東海銀行がそのような状況の下で債権放棄を行ったことが認められるのであり、この事実に鑑みると、東海銀行の代表取締役として右債権放棄に関与した申立人には、相手方が主張する「民事刑事の責任から身を守るため」というような、忠実義務違反の前提となる自己の利益を図る意図が存在したとは容易には認められないのみならず、第三者の利益を図る意図が存したとも認めがたい。

(三)  また、東海銀行が本件債権放棄を選択するに当たっては、二2で述べた事実の認識はもちろん、東海銀行にとっての利害得失を銀行内部でも外部の専門家にも十分意見聴取をして判断したことが認められる。そして、右のような事実関係の下では、代表取締役としてその選択判断にあたった申立人には右経営判断の前提となった事実認識に不注意な誤りがあったとか、その事実に基づく意思決定過程が著しく不合理であったとする事情は認められず、取締役の経営判断に許容される裁量を逸脱したとは言えないのである。すなわち、申立人には忠実義務違反ないし善管注意義務違反の事実が認められる可能性は著しく低いと言わざるを得ない。

(四)  さらに、商法二九四条の二(株主への利益供与禁止)についても、右の事実関係の下では、株主の権利の行使に関しての財産上の利益を供与したものではないと認められ、商法四八六条(特別背任罪)についてもこれに該当するような事情は認められない。

4  右に述べたとおり、相手方の本件本案訴訟における請求は、その主張自体大幅に補充あるいは変更しなければ請求が認容される可能性が少なく、また、その主張も申立人の反論とその疎明に照らせば、その立証の可能性が低いと予測できる顕著な事由が認められ、相手方の請求は十分な事実的・法律的根拠を有していないことが明らかであり、また、このことは相手方自身認識していたか、通常人であれば容易に認識し得たものと言うべきである。

そうすると、その余の点を判断するまでもなく、相手方の本件本案訴訟の提起は、「悪意ニ出デタルモノ」と言える。

三  損害及び担保額について

1  本件疎明資料によれば、申立人は、相手方から本件本案訴訟を提起され、精神的及び経済的に多大な負担を強いられていることが認められる。申立人は、前件株主代表訴訟に引き続き本件本案訴訟を提起され、銀行役員として著しく名誉感情を害されたことは容易に認められ、また、銀行役員としての社会的信用を害されたのではないかとの懸念から、これまで活発に行っていた職務の遂行に必要以上に慎重となって萎縮した行動を余儀なくさせる虞れがあることも認められる。申立人がこれらの精神的負担につき相当な苦痛を被ることは明らかである。また、申立人は、本件本案訴訟の訴額が莫大で、かつ相手方の主張も不明確で事案も複雑であることから、その応訴のため弁護士を委任する必要があり、その費用の負担のみならず、弁護士との打合せ等のため相当な経済的負担を被ることは容易に認められる。また申立人は、万が一の敗訴を懸念した対策にも労を費やさざるを得ない。これらの事実からは、申立人の本件本案訴訟による損害は相当な金額にのぼることが予測される。なお、本件疎明資料によれば、申立人は既に弁護士に対し着手金として七〇〇万円を支払い、訴訟の進行に伴い調査費用、交通費等の費用の支払いを約し、また、申立人勝訴のときは日本弁護士連合会報酬等基準規程に照らして相当額の成功報酬を支払うことを約していることが認められるが、本件本案訴訟の提起と相当因果関係のある損害に当たると認め得る金額は右の内の相当額の範囲に止まるものと言うべきである。

2  以上の事実及びその他の本件に顕れた諸般の事情を総合して考慮すると、相手方の供託すべき担保の額は、八〇〇万円と定めるのが相当である。

四  よって、申立人の本件申立ては、理由があるから、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 大内捷司 裁判官 櫻林正己 鈴木幸男)

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